野村弘樹のむらひろき
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1969年 6月30日 生 (満55歳)
野村 弘樹(のむら ひろき、本名:野村 弘(のむら ひろし)、1969年6月30日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ、野球評論家。
入団3年目までは本名を登録名としていた。
1990年代の大洋・横浜で主力投手として活躍。
1998年の横浜の日本一の際もエースとして活躍した。
経歴=
プロ入り前=
広島市の出身で、小学生の頃からお小遣いとおにぎりを持って広島市民球場に通いプロ野球の試合を観て、自然にプロ野球選手に憧れを抱く。
父親は広陵高校野球部OBで、父と野球の練習に明け暮れた少年時代を過ごす、小学校2年からリトルリーグ・広島中央リトルに入る。
1つ上の学年に元広島・阪神の金本知憲、2つ上の学年にお笑いタレントの山本圭壱がいた。
野村は同チームのエースで4番だったが、一年でボーイズリーグの広島ジャガーズに移籍した。
広島ジャガーズは、古葉竹識の弟の古葉福生が長年監督を務めていた。
高校はPL学園に入学し、桑田真澄、清原和博らを擁して夏の甲子園を制した後の新チームでエースナンバーを背負い、秋の大阪府大会、近畿大会に出場している。
翌春の選抜大会でベンチ外であった。
1987年、桑田泉(桑田真澄の実弟)、立浪和義(元中日)、片岡篤史(元日本ハム)、橋本清(元巨人)、宮本慎也(元ヤクルト・宮本のみ1学年下)らを揃えた強力チームのエースとして史上4校目の甲子園春夏連覇を達成した。
野村は10試合に ……
野村弘樹さんが誕生してから、55年と145日が経過しました。(20234日)