生年月日データベース

大矢明彦おおやあきひこ

プロ野球選手、監督[日本]

1947年 12月20日 生 (満76歳)

大矢明彦 - ウィキペディアより引用

大矢 明彦(おおや あきひこ、1947年12月20日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。
セ・リーグ初の捕手部門のダイヤモンドグラブ賞を受賞している。
二女の大矢陽子は、2004年から2005年に横浜ベイスターズ2代目オフィシャル・リポーターを務めていた。
経歴= プロ入りまで= 歯科技工士の父が率いるチームで野球を始め、中等部から進んだ早実高では2年次の1964年、前年春の選抜で準決勝進出を果たした織田和男、新藤克己の両投手とバッテリーを組み、夏の甲子園東京都予選に出場。
優勝候補と目され決勝に進出するが、修徳高のエース成田文男に抑えられ敗退。
3年次の1965年には夏の都予選準々決勝では萩原康弘一塁手、原田治明外野手のいた荏原高に延長15回サヨナラ負け、甲子園には届かなかった。
この予選の4回戦では、投手として都立大附高からノーヒットノーランを記録している。
高校の1年上に織田、新藤の他、一塁手の内田圭一、同期に遊撃手の荒川(出沢)尭がいる。
投手として臨んだ早大野球部のセレクションは通過できず、高校卒業後は1966年に駒澤大学へ進学。
すぐに捕手へ戻ると、東都大学野球リーグでは、柔軟な体と強いリストを利した打撃で1年次の同年秋季リーグからマスクを被る。
1年上のエース野村収とバッテリーを組み、3年次の1968年春季リーグに優勝を経験。
同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で田淵幸一らのいた ……

大矢明彦さんが誕生してから、76年と339日が経過しました。(28098日)