寺原隼人てらはらはやと
元プロ野球選手[日本]
1983年 10月9日 生 (満41歳)
寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。
右投右打。
経歴=
プロ入り前=
1983年10月9日に宮崎市で生まれた。
職場で野球をやっていた父や6歳上の兄の影響で宮崎市立本郷小学校3年生の時に軟式野球の「ワールドボーイ」に入団して野球を始めて小学校5年生になると6年生を押しのけてエースとなった。
宮崎市立赤江東中学校では軟式野球部に入り、1年目は制球難を克服するため下半身を鍛え、2年秋には宮崎県大会決勝戦で完封勝利を果たした。
3年夏には4番・エースとして県大会で優勝し、九州大会でも2位となって宮崎県勢15年ぶりの全国大会に出場となったが、初戦で東海代表の長泉町立北中学校に敗れた。
日南学園高等学校では入学時に球速135km/hを超えていた。
1年春の九州大会では対瓊浦高等学校戦で中継ぎ登板したが2回3失点のデビューだった。
甲子園を目指すため小川茂仁監督の下でアーム式の投法から肘を上げるフォームへの変更に取り組んだ。
2年夏には最速140km/h台となったが夏の県大会では準決勝で宮崎日大に敗れて敗退、2年秋の県大会は優勝し、九州大会では最速147km/hを記録したが準々決勝で神埼に1対4で敗れた。
この頃急激な成長に捕手が追いつけずバッテリーエラーを繰り返していた。
2001年、3年春から捕球の巧い中原幸広に変更し、春の県大会では準決勝の対延岡学園戦で後の同僚・神内靖と投げ合い球速153km/ ……
寺原隼人さんが誕生してから、41年と44日が経過しました。(15019日)