尾花高夫おばなたかお
元プロ野球選手、監督[日本]
1957年 8月7日 生 (満67歳)
尾花 高夫(おばな たかお、1957年8月7日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者。
引退後、2009年から2017年までの登録名は尾花 髙夫。
次女はファッションモデルの尾花貴絵。
経歴=
プロ入り前=
九度山町立九度山中学校時代は野球部で2年生時からエースで、チームを伊都郡大会優勝、県大会3位に導く。
3年生時の県大会で7回15三振を記録した時にPL学園のスカウトの目に留まり、最初は和歌山県立伊都高等学校を受験するつもりでいたが、PLからの誘いに応じて入学した。
PL学園高校ではエースとして活躍したが、3年次の1975年には夏の府大会4回戦で初芝高校に敗れ、甲子園には届かなかった。
2年下のチームメイトに当時は外野手であった米村明がいる。
卒業後は大学進学を希望していたが、経済的な余裕がないなどの理由から社会人に進み、1976年に新日鉄堺へ入社し、同年の都市対抗野球に出場するが、補強選手の福間納らが投げ、自身の登板はなかった。
入社直後に根本陸夫臨時コーチから指導を受け、投球練習を見た根本は「そんなフォームで投げとっては、早いボールも変化球も投げられん」と指摘した。
尾花は「教わったのは左肩を下げる独特の投げ方だ。
キャッチボールを3時間くらいやって試合になったらブルペンでずっと投球練習。
これが役になった。
高校時代はアーム式だった腕の振りが肘から先を使えるようになり ……
尾花高夫さんが誕生してから、67年と106日が経過しました。(24578日)