川崎憲次郎かわさきけんじろう
元プロ野球選手、解説者[日本]
1971年 1月8日 生 (満53歳)
![川崎憲次郎 - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E6%86%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E_October_15%2C_2012_%288093776873%29_%28cropped%29.jpg/280px-%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E6%86%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E_October_15%2C_2012_%288093776873%29_%28cropped%29.jpg)
川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。
妻は堀恵子。
長女はモデルの川崎琴之。
現役時代はヤクルトスワローズ(1989年 - 2000年)で主力投手として活躍し、通算234試合に登板して88勝を挙げ、特に対読売ジャイアンツ(巨人)戦では通算29勝を挙げた。
その活躍を買われてフリーエージェント(FA)移籍した中日ドラゴンズでも「巨人キラー」として活躍を期待されたが、中日時代(2001年 - 2004年)は怪我に悩まされて1勝もできず現役を引退した。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
佐伯市立鶴岡小学校・佐伯市立佐伯城南中学校出身。
大分県立津久見高等学校3年時の1988年の甲子園大会、第60回選抜高等学校野球大会及び第70回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場した。
特に第70回大会では「今大会NO.1右腕』の称号を提げ3回戦で『今大会NO.1左腕』の篠田淳を要する大垣商に投げ勝つも準々決勝で優勝する広島商業と対戦し、0ー5で敗れるものの、春夏連続でベスト8に進出する。
1988年度のドラフト会議にて読売ジャイアンツ(巨人)とヤクルトスワローズが1位指名で競合し、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得。
後に契約金6000万円・年俸480万円(金額は推定)で合意。
ヤクルト時代[編集]
1989年(1年目)は13試合に先発し、4勝(うち1勝は読売ジャイアンツ戦での初完封)を挙げた。
1990年に12勝(13敗)を ……
川崎憲次郎さんが誕生してから、53年と201日が経過しました。(19559日)