吉村禎章よしむらさだあき
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1963年 4月27日 生 (満61歳)
吉村 禎章(よしむら さだあき、1963年〈昭和38年〉4月27日 - )は、奈良県御所市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)・コーチ・二軍監督、解説者・評論家。
読売ジャイアンツ執行役員編成本部長国際担当兼国際部長。
1980年代後半に巨人の主力打者として活躍。
プレー中に「交通事故レベル」と言われる大けがを負うも、不屈の精神で復帰を果たし代打の切り札として活躍した。
経歴=
プロ入り、全盛期=
PL学園高で西川佳明、若井基安らと共に1981年の第53回選抜高等学校野球大会にて優勝を果たす。
この年の11月25日に開催されたドラフト会議にて3巡目で読売ジャイアンツから3位指名を受け、入団。
高い打撃センスと身体能力を武器に2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率.326の好成績を挙げる。
同年に若手選手として活躍した駒田徳広、槙原寛己とともに、彼らの背番号にちなんで50番トリオと呼ばれた。
この年の活躍をきっかけに、翌1984年から右翼手のレギュラーに定着。
俊足強肩の選手として将来を嘱望されていた。
1985年、残り1試合を残して出塁率.432であり、同じく残り1試合を残したランディ・バースの.423に9厘差をつけて1位であった。
最終戦:阪神タイガースとの直接対決では、バースが本塁打のシーズン記録で王貞治に1本差に迫っていたため、勝負を避けられたことで5打席全て出塁(1安打、4四球)して.42807となった。
これに対し、吉村は仮に3 ……
吉村禎章さんが誕生してから、61年と209日が経過しました。(22489日)