水野雄仁みずのかつひと
元プロ野球選手、解説者[日本]
1965年 9月3日 生 (満59歳)
水野 雄仁(みずの かつひと、1965年9月3日 - )は、徳島県阿南市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、野球解説者(所属事務所:有限会社オフィスウィン)。
2021年以降は読売ジャイアンツのスカウトなどのフロント業務に携わっている。
経歴=
高校時代まで=
1965年9月、阿南市宝田町の餡屋の息子として生まれる。
1972年7月、阿南市立宝田小学校1年時に、少年野球チーム・宝田ダックスに入部。
1976年、小学5年時から投手になる。
阿南市立阿南第一中学校卒業。
徳島県立池田高等学校時代は、1982年・1983年夏の全国高等学校野球選手権大会、1983年春の選抜高等学校野球大会と3季連続で甲子園大会に出場。
1982年夏・1983年春における史上4校目の「夏春連覇」、1983年夏のベスト4進出の中心選手として活躍した。
1983年春・夏はエース・4番として出場、その風貌も相まって、「阿波の金太郎」とも呼ばれていた。
1982年夏の選手権では左翼手として出場、中軸を打ち、優勝に貢献した。
荒木大輔を擁する早稲田実業学校との準々決勝では、終盤に満塁本塁打を放った。
この試合で甲子園初登板も果している。
翌1983年春は公式戦全完投及び完封勝利を挙げエラーによる失点はあったものの自責点は0点だった。
夏は史上初の夏春夏の3連覇を目指して、第65回選手権大会に出場。
準々決勝の中京戦での野中徹博との投手戦は、1980年代を代表する好ゲームとしてファンに記憶されている。
水野雄仁さんが誕生してから、59年と79日が経過しました。(21629日)