駒田徳広こまだのりひろ
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1962年 9月14日 生 (満62歳)

駒田 徳広(こまだ のりひろ、1962年9月14日 - )は、奈良県磯城郡三宅町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、左投左打)、野球指導者、野球解説者、タレント、俳優。
現役時代は読売ジャイアンツと横浜ベイスターズで通算20年間プレーした。
NPB史上初の初打席満塁本塁打デビューを飾るなど満塁時の打席で無類の勝負強さを見せ、「満塁男」の異名を持った。
また、一塁手としては史上最多となる10度のゴールデングラブ賞を受賞した。
経歴=
プロ入り前=
小学生のころからテレビで見た高校野球に憧れ、奈良県の強豪・天理高校を目指していたという。
当時から身体能力が高く運動神経も長けていたといい、野球以外では水泳などで県大会上位の成績を残していた。
中学へ入り本格的に野球を始める。
生来の左利きだが、1年生までは右打ちで、コーチの指示で2年生から左打ちに転向。
中学生時代は長身ながらも非力で、2番打者などで三遊間を抜けるゴロヒットを量産したというが、桜井商業高校時代は体格もよくなり、エースで4番打者として活躍。
1978年、夏の甲子園県予選では2年上の東利夫とバッテリーを組み準決勝に進むが、郡山高に惜敗。
1979年の秋季奈良大会でも準決勝に進出するが、智弁学園に敗退。
敗者復活2位決定戦でも高田商に敗れ近畿大会には進めなかった。
翌1980年、春季奈良大会決勝で強豪天理高と対戦。
川本和宏と投げ合い、無死満塁で敬遠されたという逸話を ……
駒田徳広さんが誕生してから、62年と244日が経過しました。(22890日)