石井琢朗いしいたくろう
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1970年 8月25日 生 (満54歳)
石井 琢朗(いしい たくろう、本名及び旧登録名:石井 忠徳〈いしい ただのり〉、1970年8月25日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(内野手・投手、右投左打)、プロ野球コーチ。
経歴=
プロ入り前=
小学校3年生の秋から父が監督を務めていた犬伏学童野球クラブで野球を始め、クラス文集に「巨人にドラフト一位で入りたい。
」と記す。
小学生の頃からエースとして活躍していた。
プロへ進むには強豪高に入って甲子園に出場することが近道と考え、栃木県立足利工業高等学校に進学。
1年時から背番号1を背負い、2年時に夏の甲子園に投手として出場。
延長10回にサヨナラ負けを喫し初戦で敗退したが、エースとして粘り強い力投を見せた。
高校2年時、佐野日本大学高等学校の投手を見に来ていたスカウトの江尻亮が、練習試合の相手投手であった石井の投球を見て、球の切れと速さに惚れ込んだ。
高校3年時のドラフト会議では、東洋大学への進学が決まっておりどの球団からも指名が無かったが、半ば強引な形で1988年オフ、ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。
大洋・横浜時代=
1989年4月13日、高卒ルーキーながら開幕早々広島東洋カープ戦で一軍初登板。
同年10月10日のヤクルトスワローズ戦で初先発初勝利を挙げた。
首脳陣からは「桑田二世」などと評価され、投手として将来を嘱望されたが、二軍(イースタン・リーグ)では好投するものの一軍で結果を残せず、また本人も ……
石井琢朗さんが誕生してから、54年と46日が経過しました。(19770日)