生年月日データベース

松原誠まつばらまこと

プロ野球選手、コーチ[日本]

1944年 1月13日 生 (満80歳)

松原誠 - ウィキペディアより引用

松原 誠(まつばら まこと、1944年1月13日 - )は、埼玉県入間郡飯能町(現:飯能市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)・コーチ、解説者。
経歴= プロ入り前= 6人兄弟の末っ子に生まれ、飯能高校では捕手として活躍。
体は大きいが非力で鈍足、特技は強肩と変化球が打てることであった。
3年次の1961年に夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが、熊谷商工に敗退。
現役時代= 1962年に大洋ホエールズへ捕手として入団。
1年目は4月15日の中日戦(川崎)で9回裏に島野雅亘の代打で初出場し、5月8日の中日戦(中日)に8番打者・捕手として初先発出場を果たすと、7回表に板東英二から初安打を放つ。
周囲からプロでは通用しないと言われ、初安打を打った時は嬉しくて母に手紙を書き、母は死ぬまでその手紙を持っていた。
同年は5試合で先発マスクを被る。
1963年から内野手を兼ねる。
1964年は4月12日の国鉄戦(東京)で2回表に金田正一から適時二塁打を打って初打点、5月6日の阪神戦(甲子園)で3回表に村山実から左中間へソロ本塁打を打って初本塁打を記録。
岩本尭コーチのマンツーマン指導で主力打者に育つ。
1965年には中堅手に回った近藤和彦の後継として一塁手の定位置を獲得し、75試合に先発出場。
1966年には初の規定打席に達し、リーグ9位の打率.294と活躍。
同年から1972年までオールスター7年連続出場を果たす。
1967年にはディック・スチュアートが入団したため、 ……

松原誠さんが誕生してから、80年と313日が経過しました。(29533日)

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