須藤豊すどうゆたか
元プロ野球選手、監督[日本]
1937年 4月21日 生 (満87歳)
須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高知県安芸郡安芸町(現:安芸市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
経歴=
プロ入りまで=
高知商業では2年次の1954年、遊撃手として片田謙二-小谷信雄のバッテリーを擁し春夏の甲子園に出場。
春の選抜では準々決勝に進むが、この大会に優勝した飯田長姫高の「小さな大投手」光沢毅に抑えられ惜敗。
夏の選手権は準々決勝で榎本喜八らのいた早稲田実を接戦で降すが、準決勝では松浦三千男・興津達男のいた静岡商に逆転負けを喫する。
同年の北海道国体では、決勝で片田が新宮高の前岡勤也に投げ勝ち優勝を飾った。
チームメイトの片田、小谷、中堅手の門田良三はいずれも広島に入団した。
3年次の1955年夏は南四国大会決勝で城東高に敗れ、甲子園出場を逸する。
現役時代=
夏の大会終了後、松田昇監督らの勧めで毎日オリオンズへ入団。
1年目の1956年は春季キャンプに途中まで参加した後、卒業試験のため高知に帰郷していたが、球団からの電報で急遽チームに合流することになった。
大急ぎで一軍がオープン戦で滞在している九州へ向かったが、球団は直後に高校出の選手は二軍で鍛える方がいいと思い直し、行き先変更の電報を打っていた。
須藤は小倉の旅館に到着後に聞いて途方に暮れるが、旅館の二階からたまたま降りてきた別当薫監督に事情を説明すると「せっかく来たんだから、上がれ」と言ってくれた。< ……
須藤豊さんが誕生してから、87年と215日が経過しました。(31992日)