生年月日データベース

田代富雄たしろとみお

プロ野球選手、コーチ[日本]

1954年 7月9日 生 (満70歳)

田代富雄 - ウィキペディアより引用

田代 富雄(たしろ とみお、1954年〈昭和29年〉7月9日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、コーチ、解説者。
右投右打。
経歴= プロ入りまで= 小田原市立酒匂小学校在学時にソフトボールを始め、小田原市立酒匂中学校在学時に野球部に所属し、当初は投手で、四番打者でエースだった。
当初両親は小田原市内の相洋高校へ進学させようとしていたが、藤沢商業高等学校の金子裕(野球部監督)の説得により特待生条件で同校へ進学し、1年生の5月から四番打者となり、2年生の時に野手(三塁手)へ転向。
高校通算42本塁打を放つ。
1年上のエース松田光保を擁し、1970年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、武相高の根建忍に完封負けを喫する。
1971年夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、大塚喜代美、土屋恵三郎のバッテリーを擁する桐蔭学園に惜敗。
桐蔭学園は甲子園で全国制覇を果たす。
翌年も県予選4回戦で敗退し、甲子園出場はならなかった。
高校卒業後は大学進学を考えていたが、高校3年の秋に父親が54歳で死去したため、野球で一家の生活を支えるためにプロ野球および社会人野球志望となった。
現役時代= 1973年のドラフト3位で大洋ホエールズに入団。
当初の契約金700万円・年俸100万円の提示に対し「この額であればノンプロへ行く」と伝え、交渉の結果、契約金800万円・年俸120万円で入団し、契約金は母親へ全額渡した。
背番号は生涯26番で ……

田代富雄さんが誕生してから、70年と135日が経過しました。(25703日)