榎本喜八えのもときはち
元プロ野球選手[日本]
1936年 12月5日 生
2012年 3月14日 死去大腸がん享年77歳
榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 2012年3月14日)は、東京都中野区出身のプロ野球選手(一塁手)。
概要=
現役時代はオリオンズの中心選手として長きにわたって活躍した。
「安打製造機」の異名を最初に取った選手である。
通算1000安打・2000安打の最年少記録を保持し(31歳7ヵ月)、その他にも数々の高卒新人記録も持つ。
安打の歴代記録に残る打者は広角に打ち分ける打者が多かったが、榎本は引っ張り打法のフルスイングにもかかわらず安打を積み重ね、通算2314安打を記録した。
経歴=
生い立ち=
1936年、農家の家庭に生まれる。
祖父は新八、父は八雄、弟は省八、先祖は八十八、八佐衛門など、榎本家には男の子には全て「八」の字を付ける習慣があり、自身も喜八という名前が付けられた。
1941年、5歳の時に太平洋戦争が勃発。
集団疎開に出発する日、33歳の母親が病死する。
戦争に出征した父親は、終戦後もシベリア抑留され、しばらく帰ってこなかった。
そのため、祖母と幼い弟と3人暮らしをしていた幼少時代の榎本は、極貧に苦しむこととなる。
雨漏りを放っておくと屋根に穴が開き、寝室には雨が降ってきたという。
畳には茸が生え、家の中で傘を差して立ったまま朝を迎えた日もあった。
電車に乗ることもできず、当時は近所を走る西武鉄道(旧・西武鉄道、現在の西武新宿線)に乗ることに憧れていたという。
戦時下の1943年3月、近所の友人の姉に連れられて ……
榎本喜八さんが誕生してから、87年と351日が経過しました。(32128日)
亡くなってから、12年と252日が経ちました。(4635日)
27493日間 生きました。