豊田泰光とよだやすみつ
元プロ野球選手、解説者[日本]
1935年 2月12日 生
2016年 8月14日 死去誤嚥性肺炎享年82歳
豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、茨城県久慈郡大子町出身のプロ野球選手・野球解説者。
現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。
引退後はニッポン放送、フジテレビ、文化放送、テレビ東京、テレビ大阪、スポーツニッポンなどの野球解説者をつとめた。
2006年に野球殿堂入り。
経歴=
プロ入り前=
3歳の時に日立市へ転居し、父は建設業を営んでいたが、国民学校(小学校)2年生の時に太平洋戦争に伴うアメリカ軍の空襲が起こったため 母の実家があり自分も生まれた大子町へ疎開し、5年生の時に戦争が終結した後も同地へ留まった。
この終戦直後、国民学校(小学校)の教師が持ってきたソフトボールの道具 で野球をやったことが、豊田が野球を本格的に始めるきっかけとなった。
茨城県立水戸商業高等学校に進み、同校3年生だった1952年の夏の甲子園に出場。
開会式の選手宣誓を務める。
高野連から渡された文章を暗記するだけであったが、校長(岡田実)に宿舎から近い海辺に連れて行かれ、沖に向かって宣誓の練習を何十回もさせられたという。
大会では、1回戦で都留高の矢頭高雄-西村一孔の強力バッテリーを打ち崩して5-0と勝利。
2回戦(ベスト16)の成田高戦では、エース・穴澤健一から3本の長短打を放つが3-6で敗退した。
高校同期に一塁手の加倉井実がいる。
高校No.1遊撃手の評価を受け ……
豊田泰光さんが誕生してから、89年と299日が経過しました。(32806日)
亡くなってから、8年と115日が経ちました。(3037日)
29769日間 生きました。