大沢啓二おおさわけいじ
元プロ野球選手、監督[日本]
1932年 3月14日 生
2010年 10月7日 死去胆嚢がん享年79歳
大沢 啓二(おおさわ けいじ、1932年3月14日 - 2010年10月7日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
「大澤」と表記されることもある。
本名は大沢 昭(おおさわ あきら)、旧登録名は大沢 昌芳(おおさわ まさよし)。
愛称は親分、大沢親分。
経歴=
学生時代=
1932年3月14日、神奈川県片瀬にて生まれる。
長兄の清、次兄の紀三男の影響もあり、野球を始める。
野球のほか、相撲、陸上などの他のスポーツでも秀でていた。
学生時代は悪童で鳴らした。
1945年、旧制中学の平塚工業学校に入学するも、学校内外で暴力事件を度々起こした上、地元で「大人のチンピラ」相手の喧嘩を起こして警察沙汰となり、これが原因で退学させられる。
1947年4月、長兄で、中部日本軍のプロ野球選手だった清の斡旋で、清の母校である神奈川県立商工高校に2年生として再入学する。
兄に諭されたこともあり、この時から本格的に野球に打ち込むことを決心する。
1年次は夏の甲子園県予選決勝で、佐々木信也がいた湘南高に敗れる。
湘南高は甲子園で全国制覇した。
2年次の1950年の夏、エースとして神奈川大会を勝ち抜いて優勝し、学校創設以来初の甲子園出場を果たす。
1回戦は仙台一高に大勝するが、2回戦で宇都宮工の神田昌男(のち大洋ホエールズ)、吉成武雄のバッテリーに抑えられ惜敗。
同年の秋季関東大会県予選決勝に進むが、湘南高のエース衆 ……
大沢啓二さんが誕生してから、92年と267日が経過しました。(33870日)
亡くなってから、14年と60日が経ちました。(5174日)
28696日間 生きました。