生年月日データベース

東尾修ひがしおおさむ

プロ野球選手、監督、解説者[日本]

1950年 5月18日 生 (満74歳)

東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、和歌山県有田郡吉備町(現:有田川町)出身の元プロ野球選手(投手)、監督、野球解説者。
タレント。
日本プロ野球名球会理事を務める。
1968年に西鉄ライオンズに入団し、以降は太平洋・クラウン・西武と球団名が変わってもライオンズ一筋でプレーした。
1995年から2001年までは西武ライオンズの監督を務めた。
通算165与死球はNPB記録。
長女はプロゴルファーの東尾理子。
理子と結婚したタレント・俳優の石田純一は娘婿にあたり、従姉に歌手の青山和子がいる。
経歴= プロ入りまで= 京都の平安高校に合格し、すでに下宿先の手配など京都での生活準備が進んでいたが、その評判を聞いた和歌山県立箕島高等学校野球部監督の尾藤公が直々に口説き、一転して同校に入学した。
箕島高ではエースで4番として活躍し、1967年の秋季近畿大会では1回戦で東山高、準々決勝で甲賀高をそれぞれノーヒットノーランで抑え、注目を集める。
決勝では因縁のある平安高の池田信夫と投げ合うが敗退し、準優勝にとどまったが、1968年春の選抜への出場を決めた。
箕島高は甲子園初出場であった。
甲子園では準決勝まで進み、この大会に優勝した大宮工と対戦した。
試合は1、2回に3点を先制するが、その後は相手エース吉沢敏雄に抑えられ、8回に逆転されて3-5で敗退。
同年夏の甲子園県予選では2回戦で星林高に敗れた。
尾藤は後に甲子園で4回優勝 ……

東尾修さんが誕生してから、74年と157日が経過しました。(27186日)