生年月日データベース

森祇晶もりまさあき

プロ野球選手、監督[日本]

1937年 1月9日 生 (満87歳)

森祇晶 - ウィキペディアより引用

森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。
読売ジャイアンツV9時代の正捕手で「V9の頭脳」の異名を取り、西武ライオンズ監督時代は在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。
兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。
経歴= プロ入りまで= 岐阜市立長森中学校出身。
野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。
岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。
森は打球を股間に受けて悶絶し、途中退場を余儀なくされる不運に見舞われている。
卒業後は大学進学を考え、東京六大学でのプレーを夢見て立教大学進学も視野に入れたが、貿易商であった実家の経営が苦しくなったため、実家を助けるべく大学進学を断念。
同年11月14日に読売ジャイアンツへテスト入団し、契約金50万円で、月給3万円の中から母親に仕送りを続けた。
同期には国松彰、馬場正平らがいる。
現役時代= 1年目の1955年は二軍スタートとなるが、6月にブルペン捕手の補充要員として一軍に昇格。
試合どころか練習を観察することさえ叶わなかったが、この時に ……

森祇晶さんが誕生してから、87年と318日が経過しました。(32095日)

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