生年月日データベース

近藤昭仁こんどうあきひと

プロ野球選手、監督、解説者[日本]

1938年 4月1日

2019年 3月27日 死去敗血症性ショック享年82歳
近藤昭仁 - ウィキペディアより引用

近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
妻は元女優の北沢典子。
一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。
プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。
経歴= プロ入りまで= 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。
9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。
近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。
3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
同年夏は北四国大会出場を賭けた県予選で準決勝に進出するが、坂出商に敗退し甲子園には届かなかった。
高校卒業後は1956年に早稲田大学第二商学部へ進学し、同級生には後に首相となる森喜朗、同じく1年後輩に元Jリーグチェアマンで日本サッカー協会会長の川淵三郎がいる。
在学中は東京六大学野球リーグで2度優勝を経験し、4年次の1959年春季リーグでは3年金沢宏(大昭和製紙)・2年安藤元博らの投手陣を擁して4連覇中の立大に競り勝ち、3年ぶりの優勝に貢献。
同年の大学全日本選手権でも決勝で再試合の末に関学を降して優勝した。
二塁手としてベストナインに2度選ばれている。
リーグ通算75試合出場、2 ……

近藤昭仁さんが誕生してから、86年と234日が経過しました。(31646日)
亡くなってから、5年と240日が経ちました。(2066日)
29580日間 生きました。

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