黒江透修くろえゆきのぶ
元プロ野球選手、コーチ[日本]
1938年 12月12日 生 (満85歳)
黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)出身(台湾台北市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
旧名は幸弘。
経歴=
プロ入りまで=
父親は海軍軍人で、香港に移住後に除隊となってから、軍需品を扱う仕事をしていた。
幼少期は裕福であったが、終戦を機に財産を消失して貧しくなる。
1946年、両親の故郷である鹿児島市に引き揚げ、父親は精米所の経営を始めた。
黒江は8人兄弟の三男で、4人の男兄弟の中で最も運動神経に優れており、小学校3年生の時に野球を始める。
両親は黒江をプロ野球選手にしたいとの夢を抱いており、『野球界』などの野球雑誌を買い与えられたほか、食事の際にも肉を兄弟の中で一番多く出されるなど、優遇されていたという。
この頃の憧れの野球チームは、六大学野球の早稲田大学と、プロ野球の巨人であった。
黒江は幼い頃から家業の精米所をよく手伝っていたが、小学校5年の時に精米機のローラーの中に指が巻き込まれる。
引き抜くと、血だらけの右手人さし指は第1関節から先が無くなっていた。
戦後間もない頃で近くには大きな病院も無く、町医者で応急手当てをした程度であった。
黒江は「もう野球はできない」と観念したが、爪の根本がほんの少し残っていたため、そのうちにほとんどなかった爪が伸びてきた。
野球は諦めずに済んだが、そこからが大変であった。< ……
黒江透修さんが誕生してから、85年と345日が経過しました。(31391日)