生年月日データベース

近藤貞雄こんどうさだお

元プロ野球選手、監督[日本]

1925年 10月2日 生

2006年 1月2日 死去呼吸不全享年82歳
近藤貞雄 - ウィキペディアより引用

近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 2006年1月2日)は、プロ野球選手(投手)・指導者・監督、野球解説者。
現役時代は西鉄軍、巨人、中日・名古屋で活躍。
戦後すぐの1946年に読売ジャイアンツで23勝(防御率2.18)を挙げたが、松山で進駐軍のジープを避けた際に右手中指を負傷。
事故の後遺症で不自由となった指で「パームボール」を習得し、移籍した中日で奇跡の復活を遂げた事で知られる。
引退後は日本球界に「先発・中継ぎ・抑え」の投手分業制を初めて提唱・実践、1982年に中日をリーグ優勝へ導いたほか、横浜大洋ホエールズでは「スーパーカートリオ」(高木豊・加藤博一・屋鋪要)を指導するなど野球指導者として実績を残し、1999年に野球殿堂入りを果たした。

近藤貞雄さんが誕生してから、101年と32日が経過しました。(36922日)
亡くなってから、20年と305日が経ちました。(7610日)
29312日間 生きました。

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