河埜和正こうのかずまさ
元プロ野球選手[日本]
1951年 11月7日 生 (満73歳)
河埜 和正(こうの かずまさ、1951年11月7日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
実弟も元プロ野球選手で、元南海→ダイエー二塁手の河埜敬幸。
2023年現在、日本プロ野球で共に1000試合出場、1000安打、4000打数を達成した唯一の日本人兄弟選手である。
ニックネームは「カメ」。
これは若手時代、出塁してリードを取った際、自信なさげに首だけ伸ばした姿が亀に似ていたということで当時の首脳陣に命名された。
経歴=
河埜家はスポーツ一家で、小学校ではソフトボールをやっていた。
中学校で野球部に入った時は連帯責任でケツバットを食らって即退部したが、バレーボール部に転じて県大会で優勝。
垂直跳びで80cmをマークして周囲を驚かせたこともあったが、野球への思いは断ち切りがたく、たまたま実家の隣に住んでいた八幡浜工高・酒本二郎野球部長から「うちで野球をやらないか」と誘われたのもあって、同高進学後は再び野球部に入部。
2年次の1968年には秋季県大会準決勝に進むが、八幡浜高の藤沢公也に完封を喫する。
3年次の1969年夏も県大会で敗退するなど甲子園には出場できなかった。
高校時代はほぼ無名の存在で、ドラフトで指名されるとは思っていなかったというが、同年のドラフト6位で読売ジャイアンツに入団。
1970年1月に多摩川での合同練習で初お目見えするが、この動きを観察していた須藤豊二軍守備コーチは目を丸くした。
普通 ……
河埜和正さんが誕生してから、73年と15日が経過しました。(26678日)