生年月日データベース

鈴木孝政すずきたかまさ

プロ野球選手、コーチ[日本]

(中日ドラゴンズで投手として活躍)

1954年 7月3日 生 (満70歳)

鈴木孝政 - ウィキペディアより引用

鈴木 孝政(すずき たかまさ、1954年7月3日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴= プロ入り前= 蓮沼小学校、蓮沼中学校から成東高校へ進学、中学時代はサイドスローだったが高校ではオーバースローに変更。
鵜沢達雄の後継として、速球を武器に1年秋からエースの座に着く。
1971年には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進む。
しかし練習時に負傷し、先発を控えの及川投手に譲りリリーフに回るが、竜ヶ崎一高に1-2で惜敗した。
1972年の春季関東大会では準決勝で日大三高の待井昇に投げ勝つ。
しかし決勝では登板せず、後にプロで同僚となる田野倉利男のいた早実高に敗退し準優勝にとどまる。
同年夏は県予選準決勝で銚子商の根本隆と投げ合い0-1で完封負け、甲子園には出場できなかった。
高校同期に青木康彰中堅手(専大 - 電電東京)がいる。
プロ入り後= 1972年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズに1位指名されて入団。
中日はこの年のドラフトで球団と親会社は仲根正広の指名を希望していたが、このドラフト会議に監督の与那嶺要の代理で出席したヘッド兼投手コーチの近藤貞雄がミーティングでのスカウト報告を聞いたときに引っかかるものを感じ、鈴木に対するとにかくボールが速いの評価に近藤はこれほど魅力的な要素はないと判断し、中日の指名順番が回ってきたときに仲根が残っているにもかかわらず鈴木を1位指名した。
また、仲根とは ……

鈴木孝政さんが誕生してから、70年と141日が経過しました。(25709日)