生年月日データベース

島岡吉郎しまおかきちろう

野球監督[日本]

1911年 6月4日

1989年 4月11日 死去享年79歳
島岡吉郎 - ウィキペディアより引用

島岡 吉郎(しまおか きちろう、1911年6月4日 - 1989年4月11日)は、明治大学硬式野球部監督。
ラグビー部の北島忠治監督と共に、明治大学の名物監督として知られた人物。
愛称は御大(島岡御大)。
東京六大学リーグ戦優勝15回は、監督として歴代1位。
明大野球部員からは東京六大学野球の神様と称された。
来歴・人物= 長野県下伊那郡市田村(現・高森町)出身。
4歳時に母の花江が結核にて死去。
父の宮次郎は朝鮮鉄道の技師として国外で働いていたため、父方の祖母かね代に育てられた(両親不在による「肉親の情への飢え」「持って行き場のない寂しさと悲しさ」が島岡の人格を作ったと教え子の近藤唯之は見解を述べている。
)。
松本商業(現松商学園)から捕手として誘いがあったが、朝鮮で働いていた鉄道技師の父から東京に出て大学に入学するよう勧められ、父から学資の仕送りを受け、12歳で単身上京。
東京小石川区の旧制豊山中学(現日本大学豊山高等学校)に入学。
中学2年の1学期、物理の試験が100点満点中8点だった咎を受け、教室内で指し棒により複数回顔を殴られたことに腹を立て、物理学教師を複数回殴り、退学処分。
旧制東京中に転校したが2年の3学期、音楽の授業で音痴を矯正しようと授業中「ゴンドラの唄」を1人特訓させられたことに耐えられず、音楽教師の額をピアノに複数回叩きつけ、退学処分。
荏原中に転校したが、転校早々、依怙贔屓の過ぎる英語 ……

島岡吉郎さんが誕生してから、113年と171日が経過しました。(41444日)
亡くなってから、35年と224日が経ちました。(13008日)
28436日間 生きました。

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