鹿取義隆かとりよしたか
元プロ野球選手、巨人軍ゼネラルマネージャー[日本]
1957年 3月10日 生 (満67歳)
鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・野球指導者。
現役時代は読売ジャイアンツと西武ライオンズで中継ぎ・抑えとして活躍した。
経歴=
アマチュア時代=
高知商では1973年、2年の夏に背番号10の控え投手として甲子園に出場。
2回戦(初戦)で山倉和博を擁する東邦高に逆転勝ち、3回戦は盛岡三高を延長14回サヨナラ勝ちで降しベスト8に進出。
準々決勝ではこの大会に優勝した金光興二、達川光男らを擁する広島商にあたり、エース浜田良彦(近大)の足がつって、急遽救援で登板したが、達川にホームランを打たれチームも2対7で敗れた。
当時はプロに行けるとは思っていなかったが、広島商の野球のレベルの高さを肌で感じられたことは財産になった。
1974年、3年夏は高知県大会の3回戦で、杉村繁を四番打者として同年の南四国大会を制した高知高に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。
高校の先輩が数名在籍していた事もあり、野球部のセレクションを受けて明治大学に進学した。
同期には高橋三千丈や豊田誠佑がいた。
1年の春から打撃投手を務め、東京六大学野球リーグでは1976年春季リーグからベンチ入りしている。
監督島岡吉郎の下で毎日500球を投げ込むほどの猛練習を重ね、高橋とともに投手陣を支えた。
1977年春季リーグの早稲田大学との3回戦では、6回から高橋を救援し、道方康友(日本鋼管)と延長15回ま ……
鹿取義隆さんが誕生してから、67年と256日が経過しました。(24728日)