太田誠おおたまこと
元プロ野球選手[日本]
1936年 5月20日 生 (満89歳)
太田 誠(おおた まこと、1936年5月20日 - )は、日本の大学野球指導者、体育学者、元社会人野球選手(内野手)。
駒澤大学硬式野球部終身名誉監督。
駒澤大学教授、同硬式野球部OB会会長を歴任。
来歴=
静岡県浜松市福塚(現・浜松市中央区福塚町)に、農業を営む昇、母よしえの間に長男として生まれる。
兄弟は男2人、女3人。
父は「元気屋」と呼ばれ働き者で男気があったが、誠少年は殴られたり、怒られた記憶もなく育つ。
戦中戦後とも農家だけに空腹に苦しまず、海岸を歩くだけでエビやヒラメを捕まえられた。
川でシジミを採ってリヤカーで運び、浜松駅で販売したこともあるという。
1943年(昭和18年)、浜松市立白脇小学校に入学。
校庭がサツマイモ畑に変わり、竹槍の訓練が始まりとても勉強という環境ではなかった。
終戦は土屋校長(南部中学校野球部時代の土屋監督の父にあたる人物)から伝えられた。
南部中学校で野球を始め、家計は楽ではなかったが、中学野球部の先輩、松下忠男と浜松西高野球部部長で教諭だった寺田昇の尽力で、父親から高校で野球を続ける許可を取り付け、浜松西高等学校に進む。
1954年夏の甲子園県予選では、エース桶田和男(高卒で毎日オリオンズ入り)を擁し、太田自身は三番・三塁手として出場。
準々決勝で興津立雄、松浦三千男のいた静岡商に敗退。
大学時代=
1955年、駒澤大学へ進学し駒澤大学硬式野球部へ入部。
2年生から三 ……
太田誠さんが誕生してから、89年と256日が経過しました。(32763日)



