生年月日データベース

高木守道たかぎもりみち

プロ野球選手、監督[日本]

1941年 7月17日

2020年 1月17日 死去急性心不全享年80歳
高木守道 - ウィキペディアより引用

高木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - 2020年1月17日)は、岐阜県稲葉郡鏡島村(現:岐阜市)出身(愛知県名古屋市生まれ)のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
現役時代は中日ドラゴンズで活躍し、その華麗かつ堅実な守備で「プロ野球史上最高の二塁手」と称されることも多い。
引退後はコーチ・監督を歴任し、初代・西沢道夫に続く2代目の「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる。
2007年1月 - 2012年11月25日まで中日ドラゴンズOB会会長を務めた。
2012年から2013年の登録名は髙木 守道(読み同じ)。
経歴[編集] プロ入りまで[編集] 岐阜市立鏡島小学校・岐阜市立精華中学校出身。
1951年8月19日、当時10歳であった高木は後に自身が選手としてプレーした中日スタヂアムの一塁側スタンドで兄と共に巨人戦を観戦していたが、その試合の3回裏に球場ネット裏上段から出火した。
この火災は内野席・球場施設がほぼ全焼し死者4人・重軽傷者318人を出す大惨事(中日スタヂアム火災)となったが、高木は事なきを得た。
少年時代の高木にとって、プロ野球の試合を観客として観戦したのはこれが最初で最後となった。
中学で野球部に入部し、1957年には県内の名門として知られる県立岐阜商業高校に進学。
当初は遊撃手であったが、肩を痛め、二塁手に転向。
高木の入学直後、野球部は打力向上のため東京六大学で活躍していた立大4年生の長嶋茂雄を特別コーチとして招聘したが、高木 ……

高木守道さんが誕生してから、83年と10日が経過しました。(30326日)
亡くなってから、4年と192日が経ちました。(1653日)
28673日間 生きました。