中山裕章なかやまひろあき
プロ野球選手[日本]
1967年 11月4日 生 (満57歳)
中山 裕章(なかやま ひろあき、1967年11月4日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)。
1986年にドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団、リリーフ・先発で主力投手として活躍したが、1991年オフに幼女への連続強制わいせつ事件を起こし、神奈川県警察に逮捕され、大洋球団を解雇される。
この事件を受けてセントラル・リーグは日本野球機構 (NPB) 全12球団に対し、無期限に契約を回避する措置を取るよう要望する声明を通達したが、この声明は1993年オフに解除された。
その後(1994年以降)は中日ドラゴンズでリリーフとして活躍し、1999年のリーグ優勝に貢献した。
経歴=
プロ入り前=
高校入学まで=
高知市愛宕町で生まれ、高知市立一ツ橋小学校・高知市立城北中学校を経て高知市立高知商業高等学校へ進学した。
大洋時代の監督・須藤豊は高知商高の大先輩にあたるほか、元阪神タイガースの藤川球児は城北中・高知商高の後輩である。
幼稚園を卒園したころ、自転車に乗っていた際に走行中のダンプカーと激突する交通事故を起こしたが、左足を骨折(2か月間入院する重傷)したのみで済んだ。
しかし小学校の入学式にはギプスを装着した状態で出席したほか、骨折した左足は高校進学後も変形したままだった。
城北中学校野球部に入部した直後、後に中学・高校時代にバッテリーを組んだ捕手・岡村英人と出会った[20]。
当時の中山は何事にも執着を示さない性格 ……
中山裕章さんが誕生してから、57年と18日が経過しました。(20837日)