野村貴仁のむらたかひと
元プロ野球選手、元コーチ、犯罪者[日本]
(2006年、覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕され、有罪判決)
1969年 1月10日 生 (満55歳)
野村 貴仁(のむら たかひと、1969年〈昭和44年〉1月10日 - )は、高知県吾川郡春野町(現:高知市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。
2000年から2001年までの登録名は「野村 空生(のむら たかき)」。
経歴=
プロ入り前=
高知県立高岡高等学校宇佐分校(現:高知県立高知海洋高等学校)ではエースとして1986年の高知大会準決勝に進み、高知商業の岡林洋一と投げ合うが、延長12回の末に惜敗し甲子園出場を逸する。
卒業後は三菱重工三原に入社。
1987年の都市対抗では高卒新人ながら三菱重工広島の補強選手として1回戦に先発したが2回3失点で退いている(なお、高卒新人で補強選手として本大会で先発登板した選手は野村を最後に2019年まで出ていない)。
1988年の都市対抗では大昭和製紙北海道との1回戦でリリーフとして自チームでの初登板を果たす。
翌1989年の都市対抗でも新日鐵光に補強されるが、登板機会はなかった。
オリックス時代=
1990年度プロ野球ドラフト会議で近鉄とオリックスが野村の3位指名で競合し、抽選の結果オリックス・ブルーウェーブに入団した。
クジを外した近鉄は佐野慈紀を指名した。
プロ1年目となる1991年は一軍での登板機会が無かったが、2年目の1992年にプロ初登板。
3試合で先発登板したが、それ以降は左のリリーフが不足するチーム事情もあってリリーフを専業とするようになっていった。
1993年には史上2人目となる1イニング4奪三振を記録した。
ま ……
野村貴仁さんが誕生してから、55年と315日が経過しました。(20404日)