パンチ佐藤ぱんちさとう
元プロ野球選手、タレント[日本]
1964年 12月3日 生 (満59歳)
パンチ佐藤(パンチさとう、本名:佐藤 和弘(さとう かずひろ)、1964年〈昭和39年〉12月3日 - )は、神奈川県出身のタレント、元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、野球解説者。
愛称は「パンチ」。
来歴=
プロ入り前=
川崎市立西中原中学校から武相高校に進学。
1982年春季関東大会準々決勝に進むが、関東学園大附高に延長14回敗退。
同年夏の甲子園県予選は準々決勝で、後にプロで同僚となる高田誠のいた法政二高に延長10回サヨナラ負けを喫する。
亜細亜大学に進み、同野球部に入部、最終年にはキャプテンも務めた。
東都大学野球リーグでは、1年上の3年生エース三原昇の好投もあって1984年春季リーグで優勝を経験。
直後の全日本大学野球選手権大会では決勝に進むが、3年生エース西川佳明や秦真司捕手、島田茂、伊吹淳一(のち熊谷組)、若井基安ら強力打線の法大に延長11回惜敗、準優勝にとどまる。
1985年秋季リーグでは、4年生三原昇と同期3年生阿波野秀幸の両エースに、4年生古川慎一と鈴木慶裕、パンチ佐藤ら強力打線を擁しながら、駒大に次ぐ2位に終わる。
最上級生となった1986年秋季リーグでは、エース阿波野秀幸が9勝を挙げるが、またしても駒大に次ぐ2位に終わる。
リーグ通算86試合出場、274打数82安打、打率.299、5本塁打、42打点。
ベストナイン3回(一塁手)。
大学の1年下には与田剛がいた。
卒業後は社会人野球の熊谷組に入社。
俊足かつ強打の選手と ……
パンチ佐藤さんが誕生してから、59年と353日が経過しました。(21903日)