山田洋次やまだようじ
映画監督[日本]
1931年 9月13日 生 (満93歳)
山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。
大阪府豊中市出身。
東京大学法学部卒業。
川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て1961年に『二階の他人』でデビュー。
『男はつらいよ』シリーズなど人情劇を発表し、現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督。
紫綬褒章(1996年)、文化功労者(2004年)、文化勲章(2012年)受章。
日本芸術院会員。
財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。
関西大学大学院文学研究科および立命館大学映像学部の客員教授、文化学院の特別講師。
日本映画監督協会会員。
妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。
次女はTBSプロデューサーの山田亜樹。
来歴=
1931年、大阪府豊中市に生まれる。
満鉄のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。
小学校1年~3年生のときに落語に熱中し、あるときジフテリアを患い明日の命も危ぶまれた際、憐れんだ父親から何でも好きな物を買ってもらえることになり、古本屋の落語全集を買ってもらったという。
東京都大田区池雪小学校に通う。
戦中の1943年、東京都立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)に入学するが、同年5月、空襲を避け、満洲国の旧制大連第一中学校(のち廃校)へ移る。
1947年、大連から一家で日本に引き揚げ、15歳から18歳までを山口 ……
山田洋次さんが誕生してから、93年と70日が経過しました。(34038日)