生年月日データベース

波留敏夫はるとしお

プロ野球選手、コーチ[日本]

1970年 5月25日 生 (満54歳)

波留敏夫 - ウィキペディアより引用

波留 敏夫(はる としお、1970年5月25日 - )は、京都府京都市東山区(現:山科区)出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、コーチ。
現役時代は横浜ベイスターズの上位打線で闘志を剥き出しにしたプレーを見せ、「ハマの核弾頭」「突貫小僧」の愛称を持った。
経歴= プロ入り前= 大谷高等学校から、社会人野球の熊谷組へ入部。
1992年の第63回都市対抗野球大会で準優勝。
翌年も出場して優秀選手賞獲得。
1993年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから2位指名(逆指名)を受けて入団。
担当スカウトは松岡功祐。
横浜時代= 1994年は内野手として登録され、シーズン中盤より一軍に定着。
終盤には怪我で戦線離脱した進藤達哉に代わり遊撃手として多く出場する。
内野では三塁手も守ったほか、中堅手も多く守り、最終的には53試合に出場した。
1995年は中堅手として多く出場。
初めて規定打席に到達し、打率三割を記録。
調子や相手先発投手の利き腕に合わせ、同い年の石井琢朗と入れ替わりで1、2番打者を務めた。
1996年は、開幕から1番打者に固定されるなど好調だったが、徐々に調子を落とす。
鈴木尚典、佐伯貴弘らとのし烈な外野のレギュラー争いに勝つことができず、規定打席未達に終わる。
1997年は開幕から好調を維持し、前年から石井が1番打者に定着したことにより、2番打者に固定された。
打率.295の好成績を残し、自身二度目の規定打席到達を果たすも ……

波留敏夫さんが誕生してから、54年と180日が経過しました。(19904日)

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