紀藤真琴きとうまこと
プロ野球選手[日本]
1965年 5月12日 生 (満59歳)
紀藤 真琴(きとう まこと、1965年5月12日 - )は、愛知県名古屋市天白区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。
NPBにおける現役時代は主にセントラル・リーグの広島東洋カープ(1984年から2000年まで在籍)でプレーし、1990年代序盤は中継ぎエースとして、同年代中ごろの1994年から1997年ごろにかけては先発のエースとしてそれぞれ活躍した。
ニックネームは「亀」。
経歴=
プロ入り前=
名古屋市天白区の市立高坂小学校・市立久方中学校出身で、子供のころから中日ドラゴンズファンだった。
工藤公康は小中学校の2年先輩に当たる。
中京高校時代は控え投手兼任外野手として1982年の第54回選抜、第64回全国選手権、1983年の第65回全国選手権に出場。
主戦投手の野中徹博との2枚看板、Wエースと言われ、球威は野中が一番だが球速は紀藤が一番とも言われた。
甲子園では3試合に野中をリリーフして登板。
同期には鈴木俊雄もいた。
1983年度のNPBドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。
本人は中日が第1希望だったというが、中日からは指名されなかった。
広島時代=
プロ入り1年目の1984年シーズンから3年目の1986年は一軍(セントラル・リーグ)公式戦では登板機会はなく、二軍(ウエスタン・リーグ)でのみプレーしていた。
若手時代は速球と気の強さを高く評価されていたが、故障がちで素質を生かせず、一時は右手指の血行障害 で引退も考えていたという。
198 ……
紀藤真琴さんが誕生してから、59年と193日が経過しました。(21743日)