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小早川毅彦こばやかわたけひこ

プロ野球選手、解説者[日本]

1961年 11月15日 生 (満63歳)

小早川毅彦 - ウィキペディアより引用

小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ、1961年11月15日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家。
浅井企画所属。
経歴= プロ入りまで= 両親とも小学校の教師。
妹が1人いる。
3歳のときに重度のネフローゼを発病し、小学校6年生まで運動を許可されなかった。
広島市立矢野中学校時代から野球を始め、高校はPL学園に進学。
PL学園野球部創設者・井元俊秀は「小早川の獲得でPL学園の潮目が変わった」と述べている。
甲子園には2回出場し、1年上のチームメートに西田真次、木戸克彦、谷松浩之、金石昭人がいた。
2年生の時、六番打者、一塁手として1978年春の選抜に出場するが、準々決勝で箕島高の石井毅、嶋田宗彦のバッテリーに完封を喫する。
同年夏の選手権でチームは初優勝を飾るが、膝の故障でベンチ入りメンバーに入れなかった。
翌1979年春の選抜から四番打者となるが、準決勝でまたも箕島高に延長10回サヨナラ負け。
同年夏は大阪大会決勝で牛島和彦、香川伸行のバッテリーを擁する浪商に敗北し、甲子園出場を逸する。
高校同期には山中潔、阿部慶二、山崎剛投手、1年下に岡部明一、2年下に吉村禎章、法政でも後輩になる西川佳明投手や若井基安がいる。
卒業後は法政大学に進学。
東京六大学野球リーグでは4回優勝。
1年生の1980年春季リーグから四番打者を務め、史上最年少でベストナイン(一塁手)に選出される。

小早川毅彦さんが誕生してから、63年と6日が経過しました。(23017日)

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