生年月日データベース

古葉竹識こばたけし

プロ野球選手、監督[日本]

1936年 4月22日

2021年 11月12日 死去心不全享年86歳
古葉竹識 - ウィキペディアより引用

古葉 竹識(こば たけし、旧名:古葉 毅(読み同じ)、1936年4月22日 - 2021年11月12日)は、熊本県熊本市西区出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
広島東洋カープにて選手として盗塁王を獲得、監督として球団史上初のリーグ優勝・日本一に導いた。
退任後は公益社団法人少年軟式野球国際交流協会理事長、全日本大学軟式野球連盟名誉会長、東京国際大学名誉監督などを務めた。
経歴= プロ入り前= 古町国民学校出身。
古葉が小学3年生のときに終戦を迎え、焼野原を片付けた場所で地元の子どもたちと野球をした事がきっかけで野球を始める。
父は鋳物会社を経営していたが、高校2年のときに父が亡くなったことで経営が傾き裕福な暮らしが一転する。
済々黌高校では2年次の1953年、三塁手として春の選抜に出場。
1年上のエース山本勘介(のち阪急)の好投もあり準々決勝に進むが、片岡宏雄のいた浪華商に延長13回0-1で敗退。
山本以外のチームメイトに二塁手の飽本唯徳がいる。
同年には夏の甲子園県予選で準優勝、西九州大会準決勝に進むが佐賀高に敗れる。
3年次の1954年夏も西九州大会で鳥栖工に完封負けを喫し、夏の甲子園に届かなかった。
高校卒業後は1955年に専修大学に進学し、同期には後にプロでも同僚となる興津達雄がいた。
同年夏休み、母校の済々黌のグラウンドに出向き後輩にプレーを見せていたところ、偶然来校していた日鉄二瀬の濃人渉監督の目にと ……

古葉竹識さんが誕生してから、88年と196日が経過しました。(32338日)
亡くなってから、2年と357日が経ちました。(1088日)
31250日間 生きました。

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