松永浩美まつながひろみ
元プロ野球選手[日本]
1960年 9月27日 生 (満64歳)
松永 浩美(まつなが ひろみ、1960年9月27日 - )は、福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)出身の元プロ野球選手(内野手)。
日本プロ野球(NPB)史上最高のスイッチヒッターと称される。
経歴=
野球を始めたのは中学1年時の途中からで、小学生時代には、地元のサッカー少年団でFWとして活躍していた。
当時は地元の新日本製鐵八幡サッカー部に所属していた宮本輝紀(メキシコオリンピック・サッカー競技で日本代表チーム初の銅メダル獲得に貢献したMF)に憧れていて、少年団の監督からはサッカーの強豪校(大分県の中・高一貫制私立学校)への進学を勧められるほどの選手だったが、中等部からの単身生活に両親が難色を示した。
結局、地元の中学校へ進学したものの、校内にサッカー部がなかったことからサッカーを断念。
部活動自体に参加しないまま知人の誘いでソフトボール大会へ投手として登板したところ、誰も打てなかったことから、周囲の勧めで1年生の途中から校内の軟式野球部へ入った。
当時から1人で野球を練習していたが、本人曰く「言葉(口)より身体を動かさないと善し悪しを判断できないタイプ」とのことで、日本のプロ野球(NPB)へ入ることまでは考えていなかったという。
福岡県立小倉工業高等学校への進学を機に校内の硬式野球部へ入部してからは、投手と外野手を兼務。
1学年先輩に田島克彦(当時は投手)がいた。
入学当時の監督だった本田正には、1年時 ……
松永浩美さんが誕生してから、64年と55日が経過しました。(23431日)