野田浩司のだこうじ
元プロ野球選手[日本]
1968年 2月9日 生 (満56歳)
野田 浩司(のだ こうじ、1968年2月9日 - )は、熊本県球磨郡多良木町出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、野球解説者、実業家。
来歴・人物=
郵便局員で、軟式野球の郵便局チームでプレーしていた父親の影響で野球を始める。
熊本県立多良木高等学校に入学し、3年生時には同校野球部を全国高等学校野球選手権熊本大会において初のベスト4に導く。
多良木高校時代には後に同僚となる八代第一高の遠山奬志と熊本で二枚看板と呼ばれ、福岡の東筑高から近鉄に入った桧山泰浩と合わせて「九州三羽烏」とも称された。
高校卒業後は、当時はプロでやっていく自信がなかったため、共に練習に参加していたNTT九州と九州産業交通のうち地元バス会社の九州産業交通に入社。
同社野球部でプレーした。
入社2年目に野球部が廃部になったため、一度は日産自動車九州への移籍が内定するが、特例措置としてドラフト指名対象となることがわかり、日産への移籍を止めプロ入りを目指す方針に転換。
1987年のプロ野球ドラフト会議で川島堅のクジを外した阪神タイガースから1位指名を受け入団。
契約金は5000万円。
大阪市営地下鉄の駅名に「野田阪神駅」が、親会社でもある阪神電気鉄道なら野田駅が偶然にもあったことから話題を呼び、人気に繋がった。
デイリースポーツが野田が勝利投手になった試合を報じた際、「野田阪神、快速止まらない」という見出しが使われたこともあった。
サイドスロ ……
野田浩司さんが誕生してから、56年と301日が経過しました。(20755日)