秋山幸二あきやまこうじ
元プロ野球選手、監督[日本]
1962年 4月6日 生 (満62歳)
秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者、野球評論家。
現役時代は西武ライオンズと福岡ダイエーホークスに所属。
2005年には福岡ソフトバンクホークス二軍監督に就任。
2007年は一軍総合コーチ、2008年は一軍チーフコーチを歴任し、2009年シーズンから2014年シーズンまで一軍監督を務めた。
2012年には、東日本大震災復興支援ベースボールマッチで日本代表監督を務めた。
経歴=
小学3年生時に少年野球チームに入団した。
父はハイジャンプ、母は砲丸投げの元選手。
熊本県立八代高等学校に進学し、野球部に入部。
監督の「お前は背が高いからピッチャーだ」の一言で投手になり、3年生時の1980年春の九州大会で準優勝。
最後の夏の甲子園熊本県予選では、決勝で大津一洋と伊東勤がバッテリーを務めていた熊本工高に4-6で敗れた。
当初から12球団のスカウトに注目されていたものの、大学への進学意思が強く、ドラフトでは指名されなかった。
しかし、ドラフト終了後にプロ入りを表明し、読売ジャイアンツ、阪急ブレーブス、広島東洋カープとの争奪戦の上、西武の熱心な説得と「君を打者として育てたい」という言葉が決め手になり、1981年1月にドラフト外で西武に入団した。
秋山は熊本工業の大津一洋、柳川の中島輝士、都城の井上祐二と共に九州四天王と呼ばれていたが、自分の実力がプ ……
秋山幸二さんが誕生してから、62年と185日が経過しました。(22831日)