生年月日データベース

山崎隆造やまさきりゅうぞう

プロ野球選手[日本]

1958年 4月15日 生 (満66歳)

山崎 隆造(やまさき りゅうぞう、1958年4月15日 - )は、広島県広島市中区小町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)・コーチ・二軍監督、野球解説者、野球評論家。
2023年秋より母校・崇徳高等学校硬式野球部の総監督。
2003年から2011年までの登録名は「山崎 立翔」(読み同じ)。
愛称は「リュー」。
経歴= 崇徳高校では1976年、3年の時に1番打者・遊撃手として春の選抜に出場。
決勝で小山高を降し優勝を果たす。
夏の甲子園では3回戦で長崎海星高に敗退。
黒田真二、小川達明や後の新日鉄君津 - 早稲田大学野球部監督の應武篤良は同期でチームメイトだった。
超高校級の遊撃手と騒がれていた。
同年、ドラフト1位で広島東洋カープに入団。
1978年後半から当時監督だった古葉竹識の勧めにより、高橋慶彦に次いでスイッチヒッターへ転向した。
しかし高橋がいたため遊撃手には定着出来ず、主に二塁手として起用された。
1980年には44試合に先発出場を果たす。
1981年3月8日、熊本・藤崎台球場でのオープン戦(対日本ハムファイターズ)で、村井英司の打球を追ってコンクリートフェンスに激突し、右膝を骨折し全治2か月の重傷を負う。
この時の衝撃音はベンチ裏まで聞こえたほどで、膝蓋骨はたいてい二つに割れるものだが、山崎の場合は粉々になっていたという。
手術は「粉々になった骨を掻き集めて、ワイヤーで皿状に括る」という前例のないケースで行われ、 ……

山崎隆造さんが誕生してから、66年と173日が経過しました。(24280日)

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