サムソン・リーI Sang-Hun
元プロ野球選手[韓国]
1971年 3月11日 生 (満53歳)
李 尚勲(イ・サンフン、朝鮮語: 이상훈、1971年3月11日 - )は、大韓民国・ソウル特別市出身の元プロ野球選手(投手)、ロック歌手、野球指導者、野球解説者。
左投げ左打ち。
NPBでの登録名はサムソン。
経歴=
ソウル高校から高麗大学へ進学。
大学4年の春、成均館大学との試合で14者連続奪三振を記録し、三振が取れる剛球の左腕として注目を浴びた。
1992年、1次ドラフト1位でLGツインズへ入団。
1億8千8百万ウォン(当時のレートで約2000万円)の契約金は、当時の新人において史上最高額だった。
プロ入団時における背番号47の由来は、「(当時の)西武の47番をつける左投手に憧れて」と本人が明かしている。
日本とアメリカではチーム事情により異なる背番号となったが、韓国では最後までこの背番号を貫いた。
1993年、ルーキーイヤーとなったこの年は9勝9敗を記録するも、8月中旬に肩を痛め途中離脱。
その後にチームが失速した一因となる。
この肩痛は持病である習慣性脱臼によるもので、左腕の血行障害とあわせ何度も彼を悩ませた。
1994年は18勝、1995年が20勝と2年連続となる最多勝を獲得。
年間20勝は韓国プロ野球において5年ぶりの記録であった。
1996年は、シーズン序盤にて肩痛および腰痛によって戦線離脱。
それに伴ってチーム成績が振るわず、監督である李廣煥(イ・グァンファン)のシーズン途中解任の一因ともなった。
1997年は、肩痛の影響により1試合に多投 ……
サムソン・リーさんが誕生してから、53年と269日が経過しました。(19627日)