高津臣吾たかつしんご
元プロ野球選手、監督[日本]
1968年 11月25日 生 (満55歳)
髙津 臣吾(たかつ しんご、旧登録名:高津 臣吾〈読み同じ〉、1968年11月25日 - )は、広島県広島市南区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球監督。
第22代東京ヤクルトスワローズ監督。
NPB、MLB、KBO、CPBLと4つの国の野球リーグを経験した初の日本人選手。
現役時代はサイドスローからの鋭いシンカーを武器に抑え投手として活躍し、ヤクルトの1990年代黄金期を支え4度の日本一に貢献した。
岩瀬仁紀に次ぐNPB歴代2位の通算286セーブ、佐々木主浩に次いで日本人史上2人目となる日米通算300セーブ、最終的には岩瀬、佐々木に次ぐ日本人歴代3位となる日米通算313セーブを記録した。
2022年に野球殿堂入り。
経歴
生い立ち
広島市立段原小学校へ入学前に比治山町の新築マンションへ転居する。
当時は高い建物が少なく、部屋の窓から広島市民球場がよく見えた。
幼少期から市民球場へ何度も通い、白地に赤いユニフォームでグラウンドで躍動する広島東洋カープの選手に憧れた。
特にミスター赤ヘルこと山本浩二の大ファンであった。
広島市内の歓楽街でフグ料理店を経営する叔母に頼んで江夏豊に対面する機会も得た。
家の近くの公園で見た少年野球をきっかけに、小学校3年のときに地元の軟式野球チーム「段原レッドイーグルス」で野球を始めた。
その後、張本勲らを輩出した広島市立段原中学校へ進学するが、当時の野球部は活動が盛んではなく、高校は自宅に近い広島工業高 ……
高津臣吾さんが誕生してから、55年と315日が経過しました。(20404日)