川尻哲郎かわじりてつろう
元プロ野球選手[日本]
1969年 1月5日 生 (満56歳)

川尻 哲郎(かわじり てつろう、1969年1月5日 - )は、東京都中野区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ・野球解説者。
経歴=
プロ入り前=
実家は酒屋を営む。
中学から内部進学した日大二高では、1986年夏の西東京大会で準決勝に先発するが、野林大樹のいた日大三高に延長13回サヨナラ負けを喫し、甲子園出場はならなかった。
その年の秋に東都大学野球リーグ戦を観て知った亜細亜大学へ進学を希望、既にセレクションが終わっている時期であったが知人の伝手で矢野祐弘総監督に特別に投球を見てもらい、コントロールの良さを買われて入学が決まった。
1年から登板の機会があったが同期に小池秀郎、高津臣吾両投手がおり、あまり登板機会には恵まれなかった。
1年上にはプロでも同僚の弓長起浩がいた。
東都大学野球リーグでは1990年に春秋季連続優勝。
リーグ通算24試合に登板し、4勝1敗。
大学卒業後は日産自動車に入社。
元々はオーバースローであり川尻本人もオーバースローに強いこだわりがあったが入社三年目の1993年に監督の村上忠則に投球フォームをサイドスローに変更を打診される。
川尻は「サイドは邪道」と渋ったがオーバースロー継続を賭けた練習試合で大量失点を喫しその日のうちにサイドスローに転向した。
するとリリースポイントが安定し変化球のキレも増し腕も振れるようになったと言う。
メキメキと頭角を現し、チームのストッパーとなる ……
川尻哲郎さんが誕生してから、56年と130日が経過しました。(20584日)