下柳剛しもやなぎつよし
元プロ野球選手[日本]
1968年 5月16日 生 (満56歳)
下柳 剛(しもやなぎ つよし、1968年5月16日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者、タレント。
マネジメントはハイタイド。
愛称は「シモ」「シモさん」「シモヤン」。
経歴=
プロ入り前=
瓊浦高等学校では、エースとして1985年秋季県大会決勝に進むが、海星高に敗退。
翌1986年夏の県大会でも、準々決勝で島原中央高に敗れ甲子園には出場できなかった。
瓊浦高校には下柳が作った「下柳マウンド」が存在する。
当時からプロのスカウトがマークしていたが監督からの誘いで高校野球の指導者を目指して八幡大学(現:九州国際大学)に進学するも、大洋の入団テスト受験の為、1年で中退。
高い評価であったが大学野球部退部から数か月であったために翌年入団の対象外で話が進まなかった。
しばらくは地元でアルバイトをしながらバイクを乗り回す生活を続けていたが、高校監督の紹介で社会人野球の新日鐵君津に入社し、1988年にはチーム初となる第59回都市対抗野球大会出場に貢献。
走り込み、ウエートトレーニングなど肉体改造に取り組み、試合で完投した後も平然と200球近くの投げ込みを行なうなど、当時からタフネスぶりを見せていた。
1990年の第61回都市対抗野球大会は予選で36回を投げぬき3完投。
本大会に進み1回戦で先発するものの、日産自動車に打ち込まれ大敗、都市対抗初勝利の夢を砕かれた。
本人はプロ引退後に「カシクラさん」なる ……
下柳剛さんが誕生してから、56年と191日が経過しました。(20645日)