安藤優也あんどうゆうや
プロ野球選手[日本]
1977年 12月27日 生 (満46歳)
安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。
アテネオリンピック野球の銅メダリスト。
経歴=
プロ入り前=
小学生の時、野球を始め「ふじが丘少年野球団」でプレー。
ちなみに小中学校の後輩に鉄平がいる。
大分雄城台高校時代は県大会ベスト8が最高成績で、比較的無名の存在だった。
同郷の山中正竹監督率いる法政大学に進学後は2年時に慶応大学の高橋由伸にそれまで大学の先輩・田淵幸一が持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を破る23本目の本塁打を打たれ、右肩の故障などもあって4年春に2勝、秋4勝したが大学通算7勝4敗の成績だった。
卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だったが、のちに夫人となる大学の同級生の勧めもあり「23本目を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と、内定を辞退して社会人野球のトヨタ自動車に入社。
なお、大分銀行には後にプロ入りの際の契約金を全額預金することで“恩返し”をした。
トヨタ時代は最速150 km/hの速球を投げる本格派右腕として頭角を現し第71回都市対抗野球大会、第72回都市対抗野球大会に2年連続出場し、2001年のIBAFワールドカップ日本代表にも選出された。
同年秋のドラフト会議において大学の後輩でバッテリーを組んでいた浅井良と共に自由獲得枠で阪神タイガースに入団。
尚、入団した年に同じくコーチに就任した田淵からは、 ……
安藤優也さんが誕生してから、46年と329日が経過しました。(17131日)