坪井智哉つぼいともちか
元プロ野球選手[日本]
1974年 2月19日 生 (満50歳)
坪井 智哉(つぼい ともちか、1974年2月19日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、コーチ、監督、野球解説者。
経歴=
プロ入り前=
幼少期は愛知県名古屋市、大阪府三島郡島本町で過ごした。
父は元プロ野球選手で内野手の坪井新三郎(中日、太平洋-クラウン)。
プロ野球選手の息子という環境もあり、幼少時代はボールやグラブ、カラーバットが遊び道具だったため自然に野球を始めていた。
父親が右投右打で、親戚にも左利きがいなかったため、当初は「自分も右利きだろう」と勘違いしていた。
ところが、右で取り組んだ野球のセンスは皆無であり、あるとき父親から「オマエの一番投げやすい方法で投げてみろ」と指摘される。
その際とっさに投げたのが左だったことから、自身が左利きであること初めて知ることとなった。
坪井は小学生時にKKコンビに憧れ、自身もPL学園へ進学。
PL学園では1年生の秋から外野手としてベンチ入りする。
その後投手として活躍するも、自身の在学中に甲子園出場はなかった。
坪井の2学年上には野々垣武志、1学年上には入来祐作、1学年下には今岡誠、2学年下には松井稼頭央が在籍。
高校卒業後は青山学院大学に進学(2学年上に小久保裕紀、同級生に川越英隆、1学年下に井口資仁、澤崎俊和、2学年下に高須洋介などが所属)。
1993年に小久保裕紀らを擁して春季1部リーグを制し、全日本大学野球選手権大会に優勝、大学野 ……
坪井智哉さんが誕生してから、50年と275日が経過しました。(18538日)