大田卓司おおたたくじ
元プロ野球選手[日本]
1951年 3月1日 生 (満73歳)
大田 卓司(おおた たくじ、1951年3月1日 - )は、大分県津久見市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
経歴=
生家はみかん果樹園も経営していた兼業農家。
男ばかり4兄弟の三男として育つ。
津久見市立第一中学校入学後に野球部に入って本格的に野球を始める。
最初は三塁手だったが、後に(本人曰く「監督にやめさせられて」)外野手に配置転換される。
津久見高校では通算打率.420・17本塁打をマークし、遠投が100m、走力は100m12秒台と強打、強肩、俊足の三拍子揃った選手であった。
同学年の大島康徳(中津工業)、詫摩和文(鹿児島照国高校)と共に「九州三羽がらす」とも称された。
2年次の1967年、左翼手として春の選抜に出場。
吉良修一の好投もあって決勝に進出し、延長12回の熱戦の末、弘田澄男のいた高知高校を2-1で降し初優勝を飾った。
3年次の1968年には夏の甲子園で主将・中堅手として出場し、エース・石井吉左衛門(鐘淵化学)を擁して3回戦に進出するが、盛岡第一高校に敗れる。
同年のドラフトで西鉄ライオンズから9位で指名される。
下位指名だったこともあり、最初は好条件で誘ってくれた大学への進学も考えたが、長兄が野球の特待生として東京の大学に進学しながら、そのつらさから中退したことを見ていることも考えて「何位だろうと同じ、プロは入ってからが勝負」と思い直して西鉄に入団。
2年目の1970年から徐々に起用される。< ……
大田卓司さんが誕生してから、73年と266日が経過しました。(26929日)