加藤伸一かとうしんいち
元プロ野球選手[日本]
1965年 7月19日 生 (満59歳)
加藤 伸一(かとう しんいち、1965年7月19日 - )は、鳥取県倉吉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
経歴=
プロ入り前=
倉吉北高校1年次の1981年から速球派投手として期待され、練習試合ではあるが、鳥取西戦でノーヒットノーランも記録している。
最上級生に進級した1983年にはチームの不祥事で対外試合禁止処分となってしまい、結局、加藤の公式戦登板は2年次の1982年夏の2試合(5-0倉吉工業高校)および(3-8鳥取城北高校)であったが、鳥取城北高校戦の試合での登板がスカウト達の目に留まった。
同年のドラフト会議にて南海ホークスから1位指名を受け、入団。
鳥取県の高校生として史上初のドラフト1位指名でもあった。
当日、学生服のまま校内で他の部員らに胴上げされている映像がニュースで流れた。
担当スカウト杉浦正胤。
南海・ダイエー時代=
シュートを武器として1年目の1984年シーズンから活躍し、中継ぎや抑えでの登板が多かったが、5勝4敗4セーブ・防御率2.76の成績を残した。
セーブ数は高卒新人歴代最多。
同年代である藤本修二、畠山準と共に「トリオ・ザ・10代」と呼ばれた。
1985年シーズンからは先発として投げ、阪急との開幕第2戦でプロ初完投勝利。
オールスターゲームまでに防御率3.25で8勝をあげ、監督推薦でオールスターに初出場した。
後半は右ひじに違和感を覚えた後は登板間隔を空けたりリリーフに回ったりするなど最終的にシー ……
加藤伸一さんが誕生してから、59年と125日が経過しました。(21675日)