吉田修司よしだしゅうじ
元プロ野球選手[日本]
1966年 11月29日 生 (満58歳)
吉田 修司(よしだ しゅうじ、1966年11月29日 - )は、愛知県江南市出身の元プロ野球選手(投手)、野球コーチ。
ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。
経歴=
プロ入り前=
滝高等学校では1984年愛知大会準々決勝に進出するが、春日丘高に敗退。
その後渡道して北海道拓殖銀行に入行。
1987年から2年連続都市対抗に出場。
1988年のソウルオリンピック日本代表に選出され、銀メダル獲得に貢献。
1988年度ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名で交渉権を獲得して契約金6500万円、年俸650万円(金額は推定)で入団。
入団の記者会見の場で吉田自ら「僕は巨人に指名されましたが、本当は出身地の愛知県の中日ファンでした」という発言をし、報道陣を沸かせた。
巨人時代=
1年目の1989年は後半戦に一軍に昇格。
藤田元司監督から「先発、リリーフで幅広く使えるタイプ」と評価される。
8月2日のヤクルトスワローズ戦で、1-4とビハインドの7回表から2番手で登板。
その裏に津末英明の3ランホームランなどでチームが逆転して、プロ初勝利を記録する。
同年の日本シリーズでも第2戦にリリーフで1試合だけ登板した。
1990年は21試合に登板。
6月3日の広島東洋カープ戦では、8回2死まで無失点に抑えて先発初勝利を挙げるなど、チームの連覇に貢献した。
1991年は6試合の先発するも結果を残せず全体でも11試合しか登板できなかった。
1992年はわずか1試合しか登板できなかった。
1993 ……
吉田修司さんが誕生してから、58年と14日が経過しました。(21199日)