岸川勝也きしかわかつや
元プロ野球選手[日本]
1965年 4月24日 生 (満59歳)
岸川 勝也(きしかわ かつや、1965年4月24日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。
経歴=
現役時代=
佐賀北高時代に46本塁打を放ち、注目される。
打撃練習では頻繁に校外まで打球を飛ばし、近隣の民家や商店に直撃させていた為、外野のネットをより高く建て替えさせたという逸話が残っている。
三塁手、四番打者として1983年夏の甲子園県予選決勝に進むが、エース内山正博を擁する鳥栖高に敗れて甲子園には届かなかった。
1983年度プロ野球ドラフト会議で仲田幸司のクジを外した南海ホークスから3位指名を受けて入団した。
契約金3300万円、年俸320万円。
長距離打者として期待された。
1985年に一軍に上がる。
同年8月は指名打者、一塁手として3試合に先発、うち2試合は四番打者として起用される。
1986年は主に三塁手として18試合に先発出場。
翌年は故障もあって低迷する。
1988年には8月下旬から一軍に定着、主に右翼手として起用され、大阪スタヂアム最後のヒーローインタビューを受ける。
1989年は、開幕から左翼手、六番打者に抜擢され、初の規定打席(26位、打率.260)に到達した。
同年は26本塁打を放ち、そのうち3本がサヨナラ本塁打であり、パ・リーグ記録を樹立した。
この記録は同時に当時のプロ野球記録でもあった。
後にジャック・ハウエルが1993年に5本を記録し更新した。
更に同年秋のセパ東西対抗では公式戦では達成 ……
岸川勝也さんが誕生してから、59年と211日が経過しました。(21761日)