生年月日データベース

古沢憲司ふるさわけんじ

プロ野球選手、コーチ[日本]

1948年 3月31日

2023年 8月22日 死去享年76歳

古沢 憲司(ふるさわ けんじ、1948年3月31日 - 2023年8月22日)は、日本のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
愛媛県新居浜市出身。
経歴= 1963年に新居浜東高校へ進学するが、阪神タイガースのスカウトが視察に来ていたことを知ると、自ら高校退学と阪神入団の意思を示した。
阪神のスカウトは高校卒業後の入団を要望したが古沢はこれを固辞し、1964年1月26日に契約金200万円で阪神への入団が決まった。
阪神時代= 1964年途中に高校を中退して阪神へテスト入団。
7月25日の国鉄戦(甲子園)に16歳117日で初登板を果たし、戦後最年少の公式戦出場記録となった。
村山実・若生智男・太田紘一に次ぐ4番手でマウンドに上がり、三振を2つ奪うなど無安打に抑えた。
チームは2年ぶり2度目のリーグ優勝を果たすが、南海との日本シリーズでは登板機会が無かった。
1965年6月30日の大洋戦(甲子園)では17歳で完封勝利を収め、プロ初勝利を挙げる。
藤本定義監督は「まさか完封とはね。
17歳と言えば10年しても、いまの村山より若い。
先が長いだけに楽しみや」と笑顔で語っていた。
1967年にウエスタン・リーグ最高勝率を獲得した。
1969年と1970年は一軍登板無しに終わった。
1971年に自身初の2桁となる12勝を挙げ、規定投球回にも到達して、防御率2.05はセ・リーグ3位を記録。
1972年には江夏豊を差し置いて開幕投手に抜擢されるも一軍では1勝にとどまるが、二軍ではウエスタン・リーグ最優 ……

古沢憲司さんが誕生してから、76年と237日が経過しました。(27996日)
亡くなってから、1年と94日が経ちました。(459日)
27537日間 生きました。