生年月日データベース

郭源治かくげんじ

プロ野球選手[台湾→日本]

1956年 10月5日 生 (満68歳)

郭 源治(クォ・ユェンツ、かく げんじ、1956年10月5日 - )は、台湾(中華民国)の台東県台東市出身の元プロ野球選手(投手)。
右投右打。
台湾原住民族のアミ族で、1989年9月に日本へ帰化。
2024年現在の本名は佳久 源治(読み同じ)。
経歴= アマチュア時代= アミ族の父・クムン(郭文志)と母・ブタル(林愛妹)の7人兄弟の3男として生まれる。
勇敢になってほしいという願いからアミ語で猪を意味するブァフィーと名付けられた。
農業を営む生家は貧しく、竹で編まれた約6坪の小屋に親子9人で暮らしていた。
弟妹の子守や畑仕事の手伝いのかたわら、草を巻いて作ったボールで野球を始めた。
1969年、豊年小学校6年生の時に台東県大会で優勝し、リトルリーグの台湾代表チーム・金龍隊のメンバーに選ばれた。
郭は3番打者を任され、中堅手兼2番手投手として活躍し、東京の極東大会を制して臨んだアメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィリアムズポートで行われたリトルリーグ・ワールドシリーズでも優勝した。
帰路も日本に寄って後楽園球場でNPBの試合を観戦し、試合前の約束通りに王貞治が本塁打を打って感銘を受けたという。
金龍隊のチームメートは宋美齢の申し出により全員が私立の華興中学校に学費免除で入学し、台北市内の寮に入った。
試験に落第したら退学という事もあって勉強を熱心に行ない、系列の華興高校に進んでいる。
同校ではエースとして後輩の李宗源、劉秋農 ……

郭源治さんが誕生してから、68年と20日が経過しました。(24857日)

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